「百済の仏像を買い取ったにほんの方が、中国政府にそれを貸し出した」
という文化交流のニュースがありましたが、
それに対して「百済の文化を盗む日本」だの「日本は盗人猛々しい」だのという
頭の腐ったコメントに眩暈を覚える今日この頃。
なんできちんと代価を払った物に対してまで、こんな罵倒を浴びせるのか。
にほん憎しで、もう何にでも噛み付いてくるんですね…
そして、みずきさんの韓国反応サイトから拾ったコメント↓
「そして常に日本は軍事力が大きくなると朝鮮半島を侵略してきた。
それは日本の宿命である。」
「福島の放射能がますます蓄積し、その後遺症が隠せなくなる頃、
日本は軍事緊張感を造成し、戦争を起こすだろう。」
「主敵は日本であり、北朝鮮は私たちが踏みつけて手に入れるべき地域である。」
「日本は韓国の地。」
元記事自体は、海上自衛隊が東南アジア海上で、
多国籍軍と訓練する…というだけのものなのですが、
相変わらず向こうの反応は酷い、というか醜い。
しかし別サイト様で「日本文化を消費する韓国人の方が問題」という記事についた
コメントはもっと醜いです↓
「韓民族はもっと誇りを持て、満州と中国を席巻し、
1000年も日本を支配していた民族の子孫らしく 」
「日本が韓国の後頭部を打撃して来るのは、数千年間続いて来た事だ」
いやはや……狂ってますね。
にほんは韓国の地!?ハァ!?
1000年も支配してきた!?ハァーーーッ!?
一体何を言っているのかしら。
満州と中国を席巻てw
元宗主国、中国様が聞いたらブチ切れますわよw
だいたい百済百済言ってるけど、韓国の母体「李氏朝鮮」って、
600年代に百済が滅んだ後、900年代に統一した高麗が大本だよね?
その高麗は「元」の属国で、二度もにほん侵攻にきている(蒙古来襲)
そして撃退されたの!
いいですか?撃退されたんですよ?
朝鮮は1000年の間、一回たりとも、にほんを支配出来た事はないんです。
しかも百済が滅ぶ際、多数の百済人がにほんに亡命し、帰化しました。
祖先の文化がーーッとか、百済の文化返せとか言ってるけど、
滅ぼされた前民族の文明って、次にそこに建てられた民族の物になるものなの?
過去の遺物ではあるけれど、あんたらに関係ない。
百済の物は百済民の物だよ。
確かに倭国と百済は交流があったけどね。
百済の王に倭人がなった事もあるし、百済は倭国に人質を送っていたし、
お墓(前方後円墳)が半島にあったくらいだし。
そういえば百済の姫が皇室の側室にいたのも本当らしいけど、
それが何で「にほんの皇室は朝鮮が起源」になるのか、さっぱりわからない。
血が一滴でも混ざれば、先祖になるとでも?
猿でも考え付かない理論ですね。
しかし―――しみじみ思いましたが…
これが彼等の本音なのでしょうね。
「にほんを属国にしたい」
「にほん人を足元に跪かして、思い切り嬲りものにしたい」
つまり彼等は国民総両班(朝鮮の最上位民)になりたいわけです。
それにはその下の身分である、別の賎民国が必要になります。
長い属国時代に、その願いは叶えられる事はありませんでした。
ところがついにそのチャンスがやってきました。
第二次世界大戦でにほんが負け、たなぼたで独立の機会がきたのです。
これで両班側にたてる!と喜んだ事でしょう。
しかし、残念ながら彼等は「戦勝国」側ではなく「敗戦国」側でしたので、
にほんを属国化する事は出来ませんでした。(当たり前)
独立したばかりの政府が国民を纏め上げるには、強力なプロパガンダが必要です。
そこで彼等は日帝をすべての悪の根源として、代々の政治家達がそれに利用したわけです。
「にほんは悪、韓国は善」
だからにほんは韓国の下の国、という定義。
下の国だから見下してもいいし、何をしてもいいと思ってる。
盗もうが、殺人をしようが、自分達に逆らうのは許さないと思ってる。
自分達のはただの悪口、にほん人のは悪質なヘイト。
そう思うから平気で旅行に来るんだよね?
だから平気で嘘をつくんだよね?
私は韓国の反日教育は「宗主国願望教育」だと思っています。
にほんを憎む、というより、屈服させたいって願望の方が強いんじゃないかな。
だから「韓国はにほんより偉い、優れてる」って教育してるんだよね?
にほん人はそんな教育してないよ。
むしろ自虐的だったくらい。
にほんはずっとガラパゴスだったから、
隣の国がこんなに狂った国だなんて(一部の人以外)知らなかった。
韓流とか好意的に見てた人達だって多かったのに。
でももう皆知ってしまったよ―――
こぼれたミルクはもう戻らないんだ。
残念でした!
2019年05月06日
にほん人――この不思議な宗教観
にほんは多神教の国だと言われています。
根は古代から続く「神道」でしょう。
自然崇拝、祖霊崇拝という土着信仰です。
それに外からはいってきた「仏教」が混ざり合って、
ちょっと独特の宗教観が出来たのが、にほんという国なのです。
民間信仰の神様から神話の神、人神まで、
八百万(やおよろず。数ではなく無限にいるという意味)の神々が国の津々浦々、
便所には便所の神様が、厩には厩の神が、物には付喪神というふうに、
この古い国のあらゆる場所に居らっしゃるのです。
この神々は人間と契約を交わしたりしません。
だから経典とか無いし、教祖もいないし、契約の儀式もありません。
一方的に怒ったり、まれに褒めてくれたりする気まぐれな神々です。
故に神様を怒らせたり不快にさせたりしない様、
私達は祠を祀り、場を清め、供物を捧げて「どうぞお怒りをお鎮め下さい」と祈り、
安全や豊作を願い祭事をし、叶えばただただ感謝するのです。
これはやはり自然災害が多かったせいだと思います。
大自然の前に人間はまったく無力ですから、
恐れ慄く事しか出来なかった。
にほんでは、亡くなった方は生前の行いに関係なく「御霊」になると
考えられています。
しかし人によっては怒りが凄まじく、死後「怨念の御霊」となる事があります。
祟り神ですね。
平将門とか菅原道真とか。
でも手厚く祀り上げる事で強力な守護神様になったりする…
人間の想像力って面白いですね。
そういえば昔「1・0」(ワンゼロ)っていう
古代中国より泥舟で渡ってきた神様達が、今は1と0の世界、
つまりコンピューターの中で復活するっていう漫画があって大好きだったなあ。
さすが古くなったロボットを祭る国であるw
とにかく万物すべてに神が宿るって考えが「神道」だから。
実際のところ「神道」は宗教というよりも文化そのものなんですね。
にほん人のDNAに深く組み込まれている集合意識。
日々の生活ではまったく意識していないけど、
ふっと考えると「あ、私ってやっぱりにほん人だんだな」って思う事が多い。
何気に石像には手を合わせるし、静寂な神仏殿では分を弁えたい。
物を捨てる時には神様に怒られないか気になっちゃうし。
だからどこぞの宗教が今回の改元の儀に対して、
「にほんは政治と宗教が分離していない、憲法違反だ!」とか難癖つけてるけど、
まったくの的外れですよ。
「神道」はすでに、にほんの文化そのものなのですから。
昔「ディープ・インパクト」って映画ありました。
あれで大統領が「神に祈って下さい」ってセリフがあったのよね。
もし「もう駄目だ!」って状況になったら、
自分は誰にお祈りするかなーって考えたんだけど、
やっぱり「神様、仏様、ご先祖様!」になるな、と。
みんなまとめて、にほんの神様(笑
やっぱり私、心底にほん人だよね。
それで「神道」に「仏教」が新興宗教として入り込んできたのですが、
にほん人はうまいところ取りして融合させた感じがします。
昔、古い家には必ず神棚と、仏壇の間があったと思います。
葬式とかは通夜から始まって普通に四十九日まで、菩提寺のお寺さんにお願いして。
そういう「形式」というか作法をちゃっかりと取り入れています。
そうして仏教はこの国に根付いていったのでしょう。
うちの地方では仏壇の事を「せんそさん」と呼んでました。
ご先祖様の事ですね。
仏壇の間は親類縁者の写真でいっぱいでした。
戦争で亡くなった方が多かった(出征の前に皆写真を撮ったそうです)
で、小さな子供の朝の仕事は、この仏壇の掃除でした。
花立の水を替え、炊き立てのご飯といれ立てのお茶、そして新しいお水をあげるのです。
時間がたってかぴかぴになったご飯は、出汁用にとった煮干と鰹節、
味噌汁をかけてにゃんこ達の朝御飯にします。
それからご先祖様の前で手を合わせて、
「今日も一日お守りください」とお祈りするのです。
他所からいただいた食べ物とかは、まず仏壇にあげて「仏様」に食べていただくのだけど、
考えてみたらこの「仏様」というのは、如来様と御霊になったご先祖様で、
神仏融合しているわけですね。
ご飯を食べる時の「いただきます」と「ご馳走さまでした」も確か仏教由来。
にほんには沢山の神様達がいらっしゃいます。
そこに優劣はつけません。
新年には神社で願を掛け、お盆にはお墓参りに寺へ行き、Xmasにはお祝いをします。
憲法20条でも「信教の自由は何人とに対してもこれを保障する」とありますし。
ですからにほんは神様を差別しないし、他国の宗教にもとても寛容な国です。
誰かが変わった宗教を心棒していたとしても、それが犯罪組織(例えばオームのような)
とかでなければ、にほんで弾圧される事はないと思います。
ちよーっとアレな感じの宗教の場合でも、にほん人はあからさまに態度に出したりしません。
「あー…そーなんだーふーん…」といった感じで大人対応しつつ、
じょじょに距離をとって離れていく―――だいたいのにほん人はそんな感じでしょう。
しかしそんなにほん人でも、大激怒する事例があります。
それは「その宗教を強要される事」です。
ここは声を大にして言いたいところですね。
大方のにほん人は、他宗教を容認し存在を拒否しませんが、
それを個人の枠を超えて強要される事を何よりも嫌います。
この間、それをやって炎上させていたイスラムの方がいましたねー。
にほんでは決して他人の宗教に関与しないこと。
これはこの国で暮らすうえでの鉄則です。
根は古代から続く「神道」でしょう。
自然崇拝、祖霊崇拝という土着信仰です。
それに外からはいってきた「仏教」が混ざり合って、
ちょっと独特の宗教観が出来たのが、にほんという国なのです。
民間信仰の神様から神話の神、人神まで、
八百万(やおよろず。数ではなく無限にいるという意味)の神々が国の津々浦々、
便所には便所の神様が、厩には厩の神が、物には付喪神というふうに、
この古い国のあらゆる場所に居らっしゃるのです。
この神々は人間と契約を交わしたりしません。
だから経典とか無いし、教祖もいないし、契約の儀式もありません。
一方的に怒ったり、まれに褒めてくれたりする気まぐれな神々です。
故に神様を怒らせたり不快にさせたりしない様、
私達は祠を祀り、場を清め、供物を捧げて「どうぞお怒りをお鎮め下さい」と祈り、
安全や豊作を願い祭事をし、叶えばただただ感謝するのです。
これはやはり自然災害が多かったせいだと思います。
大自然の前に人間はまったく無力ですから、
恐れ慄く事しか出来なかった。
にほんでは、亡くなった方は生前の行いに関係なく「御霊」になると
考えられています。
しかし人によっては怒りが凄まじく、死後「怨念の御霊」となる事があります。
祟り神ですね。
平将門とか菅原道真とか。
でも手厚く祀り上げる事で強力な守護神様になったりする…
人間の想像力って面白いですね。
そういえば昔「1・0」(ワンゼロ)っていう
古代中国より泥舟で渡ってきた神様達が、今は1と0の世界、
つまりコンピューターの中で復活するっていう漫画があって大好きだったなあ。
さすが古くなったロボットを祭る国であるw
とにかく万物すべてに神が宿るって考えが「神道」だから。
実際のところ「神道」は宗教というよりも文化そのものなんですね。
にほん人のDNAに深く組み込まれている集合意識。
日々の生活ではまったく意識していないけど、
ふっと考えると「あ、私ってやっぱりにほん人だんだな」って思う事が多い。
何気に石像には手を合わせるし、静寂な神仏殿では分を弁えたい。
物を捨てる時には神様に怒られないか気になっちゃうし。
だからどこぞの宗教が今回の改元の儀に対して、
「にほんは政治と宗教が分離していない、憲法違反だ!」とか難癖つけてるけど、
まったくの的外れですよ。
「神道」はすでに、にほんの文化そのものなのですから。
昔「ディープ・インパクト」って映画ありました。
あれで大統領が「神に祈って下さい」ってセリフがあったのよね。
もし「もう駄目だ!」って状況になったら、
自分は誰にお祈りするかなーって考えたんだけど、
やっぱり「神様、仏様、ご先祖様!」になるな、と。
みんなまとめて、にほんの神様(笑
やっぱり私、心底にほん人だよね。
それで「神道」に「仏教」が新興宗教として入り込んできたのですが、
にほん人はうまいところ取りして融合させた感じがします。
昔、古い家には必ず神棚と、仏壇の間があったと思います。
葬式とかは通夜から始まって普通に四十九日まで、菩提寺のお寺さんにお願いして。
そういう「形式」というか作法をちゃっかりと取り入れています。
そうして仏教はこの国に根付いていったのでしょう。
うちの地方では仏壇の事を「せんそさん」と呼んでました。
ご先祖様の事ですね。
仏壇の間は親類縁者の写真でいっぱいでした。
戦争で亡くなった方が多かった(出征の前に皆写真を撮ったそうです)
で、小さな子供の朝の仕事は、この仏壇の掃除でした。
花立の水を替え、炊き立てのご飯といれ立てのお茶、そして新しいお水をあげるのです。
時間がたってかぴかぴになったご飯は、出汁用にとった煮干と鰹節、
味噌汁をかけてにゃんこ達の朝御飯にします。
それからご先祖様の前で手を合わせて、
「今日も一日お守りください」とお祈りするのです。
他所からいただいた食べ物とかは、まず仏壇にあげて「仏様」に食べていただくのだけど、
考えてみたらこの「仏様」というのは、如来様と御霊になったご先祖様で、
神仏融合しているわけですね。
ご飯を食べる時の「いただきます」と「ご馳走さまでした」も確か仏教由来。
にほんには沢山の神様達がいらっしゃいます。
そこに優劣はつけません。
新年には神社で願を掛け、お盆にはお墓参りに寺へ行き、Xmasにはお祝いをします。
憲法20条でも「信教の自由は何人とに対してもこれを保障する」とありますし。
ですからにほんは神様を差別しないし、他国の宗教にもとても寛容な国です。
誰かが変わった宗教を心棒していたとしても、それが犯罪組織(例えばオームのような)
とかでなければ、にほんで弾圧される事はないと思います。
ちよーっとアレな感じの宗教の場合でも、にほん人はあからさまに態度に出したりしません。
「あー…そーなんだーふーん…」といった感じで大人対応しつつ、
じょじょに距離をとって離れていく―――だいたいのにほん人はそんな感じでしょう。
しかしそんなにほん人でも、大激怒する事例があります。
それは「その宗教を強要される事」です。
ここは声を大にして言いたいところですね。
大方のにほん人は、他宗教を容認し存在を拒否しませんが、
それを個人の枠を超えて強要される事を何よりも嫌います。
この間、それをやって炎上させていたイスラムの方がいましたねー。
にほんでは決して他人の宗教に関与しないこと。
これはこの国で暮らすうえでの鉄則です。