2019年05月08日

にほんの漫画文化について

風薫る、いい季節になりましたね~。
今日もお空が晴れ晴れしてて気持ちのよい一日でした。
うちは九州でも南の方なので、すでに暑いという…
年々、暑くなるのが早くなっているような気がします。

さて、海外翻訳サイト様で拾ったネタ。
向こうのグローバルニュースサイトの記事みたいですね↓


 「『Webトゥーン』と呼ばれる韓国のウェブマンファ(漫画)が人気を博し、
  日本のマンガ産業は交差点に立たされている。

  マンガ強国・日本の牙城と自負心は、韓国のWebトゥーンの登場とともに崩れ始めた。
  韓国で胎動したWebトゥーンはすでに、東アジアを越えて世界的に人気を集めている。

  Webトゥーンはマンガの故国である日本にも進出して、日本の若年層に浸透した。
  日本の伝統的なマンガ市場は自ずから萎縮している。
     (略)

  印刷とコンテンツ市場の強者だったマンガの自尊心を捨て、
  先行する韓国のWebトゥーンを追いかけなければならないという助言である。 」


……んーとね。

いつも思うに、韓国は根本的な問題を理解していないと思う。

ようするにこの記事では、
「マンガ強国」「牙城と自負心」が韓国漫画の進出で壊れた!
にほんの漫画産業は終わった!自負心を捨てて韓国に助言を請え!
…という事が言いたいらしいのだけど、
まー市場が小さくなって確かに出版企業は困ってるよね。
本屋さんは少なくなったし。
それならその企業は他の金鉱脈を探すしかない。
ただ経済のそれと、にほんの「漫画文化」は同一視できないと思う。

例えばこの漫画というコンテンツに関していえば、
アナログとデジタルによる細分化の問題なんて、かなり昔の話。
今はデジタル書籍が好きな人はそれを選べばいいし、
やっぱり紙媒体を楽しみたい人は書店でそれを買えばいいだけになってる。
確かに伝統的な市場は縮小したかも知れないが、別に無くなるわけじゃないし。
人間が存在する限りアナログ趣味が消滅することは絶対に無いでしょう。

韓国でウェブマンファが人気を博して、にほんを圧巻してるとして、
(にしては超人気の作家とか作品名とか全然聞いた事ないけど)
それで何故「にほんの牙城と自負心が崩れた」事になるの?
面白ければどの国でも自然に流行るでしょ?
良いコンテンツとはそういうもの。

もともと、にほんの漫画やアニメは自国民向けに発信されていたもので
それが勝手に外へと広がったサブカルだからね。
外国の文化に影響されつつも、どこまでも唯一無二で独特なのは、
にほん人という「オタク民族」が作った「オタク文化」だからだよ。
これは他国が「真似」はできても、にほん人にしか作れない。
私達はそれを誇りに思うけれど、それが他の文化に対して上か下かとは考えない。
文化は文化、それだけだよ。

自分が面白いと思うものを極限まで追求していく。
にほん人は何でも○○道にしてしまう、とよく言われます。
漫画道、です。
このコンテンツに政治は無関係。
政府というか世論はむしろ長らく弾圧してた方。
今は手の平返したみたいに持ち上げてますけどね…
昔は漫画読んでる奴は馬鹿、みたいな風潮だったんだから。

にほんの「漫画やアニメ」は、そうやって自国民同士、
長い時間をかけて切羽琢磨しながら出来上がってきたもの。
歴史があるんですよ。
戦後の話じゃないです、もっとずっと前、江戸時代からある文化です。
浮世絵とか春画とか、取り締まりされながらも絵師同士で競いあっていました。
アナログだろうがデジタルだろうが、描きたい人は何があっても描きますよ。
今でもプロから同人作家まで、大体そんな感じです。

だからコンテンツに優劣をつけるのがおかしいのです。
文化は比べるようなものではありません。
私達は他国の文化が面白いと思うし大好き。
だから好きなものはいっぱいリスペクトするよ!
にほんと韓国の漫画のどちらが優れているか、比べるだけ無意味。
ひとつひとつの作品を比較し論じる事はあっても、それは好みの問題でしかないのだから。


なぜ、いつも浅い上っ面しか見ないの?
なぜ、いつも二者一択しかないの?
なぜ、面白ければどちらも楽しめばいいと考えないの?
なぜ、すべてにおいて上か下か、勝ったか負けたかにしか興味がないの?
ほんとうに毎回思う疑問です。


posted by にょん at 02:43| Comment(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする