ーーー外国人の外交官が言ったという
「にほんは猫じゃない、猫だと思ってる虎だ」を聞いて。
あのね。
にほんは「虎」じゃないよ。
にほんはね、にほん列島に住み着いてる「いえねこ」なんだよ。
いえねこだからね、あんまり外には出て行かないんだ。
家でまったり呑気に過ごしているのが大好きなんだよ。
でも縄張りを荒らされたら少しの間我慢して、
我慢できなくなったら出ていくよ。
そういう時は凄く本気だから気をつけてね。
でも基本、大人しい「おうちねこ」だよw
住処はとっても古い家なんだ。
だからあちこちガタガタしたり、物が落っこちてきたりする。
雨漏りもひどいかも。
でも大好きな我が家だからね、引越しなんて絶対しないよ。
一生懸命あちこち直しながら暮らしてる。
この家にあるものはみんな好きだよ。
とても古い思い出のある物ばかりだから。
大事に残していきたいと思っているんだ。
前にきた人間に首輪をつけられたよ。
最近は少し擦り切れて、千切れかかってるけどね。
隣の家からいろんな物が飛んでくるよ。
嘘だったり、罵倒だったり、嫌がらせだったり、
でも「金よこせ」が一番多いかな。
以前は相手にしてたけど、この頃はそれも馬鹿らしくなった。
だから今は無視してる。
これからも無視し続けると思うよ。
どうせ、そのうち、お隣さんは引っ越すと思うな。
今、ご近所中でいろいろ揉めてる最中だからね。
高い塀を作れたらいいんだけどな。
池があるからそれも難しくてさ。
まあ、にほんねこは窓際で毛繕いでもしながら、
通りでも眺めることにするよ。
2019年06月10日
日帝残滓――なぜ杉は切り倒さないのか
朝鮮日報日本語版のコラムより。
【萬物相】「親日」の木
(略)こうした「帰化植物」が韓国には400種類以上もある。
木の「国籍」を質して何になるのか。生態系に問題を起こすことなく
きちんと調和して生きているのであれば、それは韓国の花だ。
(略)
このイブキの木を校木に指定している小・中・高校は済州島内に計21校ある。
校庭のイブキ2157本が無慈悲に切り倒されそうな様相だ。
大統領が親日清算を要求するせいで道路名、校歌まで変え、
今度は植物まで攻撃している。(引用ここまで)
例のカイズカイブキについてのコラムなんですが、
何か珍しく真っ当な事が書いてあります(笑)
ま、ここは親日派だとしょっちゅう攻撃されてる新聞なんですけど。
なぜ、この植物が日帝残滓なのかといいますと↓
「1909年に伊藤博文が大邱の達城公園でカイヅカイブキを記念植樹した」
という主張があるからだそうです。
しかしコラムは続けて↓
だが韓国学中央研究院は昨年発行した『精神文化研究』に、
「カイヅカイブキに関する俗説は、ほとんどが虚構」だとする論文を掲載した。
嘘じゃねえかーーーッ!
それに対して杉は確かににほんが植えた物です。
故に↓
イブキを切り倒そうという論理からすると、
その前にスギからまず切り倒さなければならない。
済州は荒廃するだろう。
こんな寒々しいコメディーをいつまで見なければならないのか。
(引用ここまで)
まさしくその通りですね!
まずは「杉」を切れと。
いや、その前にもっと根本的な日帝残滓である「学校」を壊しなさいよ。
そして教育制度から韓国発生のものに変えればいいと思う。
そこまでやっての「親日清算」でしょう?
しかしそこまでやると、また「両班」と「白丁」の世界に舞い戻るからねェ。
結局出来ない……というかやらない。
彼等は肝心な箇所は知らぬ存ぜぬで通して、楽なところばかり攻撃する。
だからパフォーマンスにしか見えないんだよね。
見てるとやるんなら本気でやれや!って腹がたってくる。
日章旗に噛み付かず、旭日旗には噛み付くのと構造が一緒。
ダブルスタンダード。
イブキも切り倒すって言ってるけど、
前に引っこ抜かれたイブキは、どこかで指摘されてたけども
根っこを綺麗に梱包してあって、とても捨てる風には見えないんだよね。
あれってさー、もしや関係者が売っ払らってない??
いい小遣い稼ぎにされる気がするわ。
そういえば先日、文大統領が朝鮮戦争の遺族達と食事会をした際、
北のカリアゲ君と一緒に写った写真を配ったり、
「北に謝罪をさせろ」という嘆願を報告書から削除したらしいですね。
これって韓国大好きドイツがヒトラーの写真をユダヤ人達に見せるのと
どう違うの?
それを一国の大統領がやるとか、アリなのかしら?
それよりもっと重要な点があります。
文大統領のブレインが、露骨に北塗れになっているという事実でしょう。
大統領が認知症かどうかより拙い事ではないのですか?
在韓米軍の撤退も確定したようですし……
中米日北から国際イジメされてるどころの話ではないですよ。
いまや火種の中心地ですがな。
どうやら米中はまた朝鮮半島を戦場にしたいみたいだしね。
怖っ!
にほんは対馬防衛を早く展開しないと巻き込まれるぞおおおお!
【萬物相】「親日」の木
(略)こうした「帰化植物」が韓国には400種類以上もある。
木の「国籍」を質して何になるのか。生態系に問題を起こすことなく
きちんと調和して生きているのであれば、それは韓国の花だ。
(略)
このイブキの木を校木に指定している小・中・高校は済州島内に計21校ある。
校庭のイブキ2157本が無慈悲に切り倒されそうな様相だ。
大統領が親日清算を要求するせいで道路名、校歌まで変え、
今度は植物まで攻撃している。(引用ここまで)
例のカイズカイブキについてのコラムなんですが、
何か珍しく真っ当な事が書いてあります(笑)
ま、ここは親日派だとしょっちゅう攻撃されてる新聞なんですけど。
なぜ、この植物が日帝残滓なのかといいますと↓
「1909年に伊藤博文が大邱の達城公園でカイヅカイブキを記念植樹した」
という主張があるからだそうです。
しかしコラムは続けて↓
だが韓国学中央研究院は昨年発行した『精神文化研究』に、
「カイヅカイブキに関する俗説は、ほとんどが虚構」だとする論文を掲載した。
嘘じゃねえかーーーッ!
それに対して杉は確かににほんが植えた物です。
故に↓
イブキを切り倒そうという論理からすると、
その前にスギからまず切り倒さなければならない。
済州は荒廃するだろう。
こんな寒々しいコメディーをいつまで見なければならないのか。
(引用ここまで)
まさしくその通りですね!
まずは「杉」を切れと。
いや、その前にもっと根本的な日帝残滓である「学校」を壊しなさいよ。
そして教育制度から韓国発生のものに変えればいいと思う。
そこまでやっての「親日清算」でしょう?
しかしそこまでやると、また「両班」と「白丁」の世界に舞い戻るからねェ。
結局出来ない……というかやらない。
彼等は肝心な箇所は知らぬ存ぜぬで通して、楽なところばかり攻撃する。
だからパフォーマンスにしか見えないんだよね。
見てるとやるんなら本気でやれや!って腹がたってくる。
日章旗に噛み付かず、旭日旗には噛み付くのと構造が一緒。
ダブルスタンダード。
イブキも切り倒すって言ってるけど、
前に引っこ抜かれたイブキは、どこかで指摘されてたけども
根っこを綺麗に梱包してあって、とても捨てる風には見えないんだよね。
あれってさー、もしや関係者が売っ払らってない??
いい小遣い稼ぎにされる気がするわ。
そういえば先日、文大統領が朝鮮戦争の遺族達と食事会をした際、
北のカリアゲ君と一緒に写った写真を配ったり、
「北に謝罪をさせろ」という嘆願を報告書から削除したらしいですね。
これって韓国大好きドイツがヒトラーの写真をユダヤ人達に見せるのと
どう違うの?
それを一国の大統領がやるとか、アリなのかしら?
それよりもっと重要な点があります。
文大統領のブレインが、露骨に北塗れになっているという事実でしょう。
大統領が認知症かどうかより拙い事ではないのですか?
在韓米軍の撤退も確定したようですし……
中米日北から国際イジメされてるどころの話ではないですよ。
いまや火種の中心地ですがな。
どうやら米中はまた朝鮮半島を戦場にしたいみたいだしね。
怖っ!
にほんは対馬防衛を早く展開しないと巻き込まれるぞおおおお!
「なんこ」懐かしい薩摩の遊び
「なんこ」という遊びをご存知でしょうか?
私が子供の頃、祖父母宅に親戚一同が集まったりすると
大人達はいつもこの遊びをやっていました。
ルールは簡単。
向かい合わせになったら右手を後ろに回し、
手の平の中に3本以内の棒を隠し持ちます。
同時になんこ盤の上に棒を隠して突き出し、
合計何本か互いに言い当てるというゲームです。
当たったら勝ち。
間違っていたら罰として猪口に入った芋焼酎を飲みます。
両方外れたら両方飲みます。
これって薩摩独特の遊びなんですね。
最近知って驚いています。
なんこは「何個」か「南交」が語源らしいですが不明です。
懐かしいですねー。
なんこに使う棒は1㎝角ほどの艶々した15㎝位のやつだった記憶。
無い時はお箸を短くして使っていたと思います。
確か専用の碁盤みたいな「なんこ盤」がありましたよ。
無い時はテーブルの上だったかな。
説明してるサイトさんによると土地によって掛け声は違ってるようですが、
祖父母宅では子供心にも奇声としか聞こえなかったから
多分古い薩摩言葉だったのでしょう。
でも数を当てる時の
3=あにょ(兄)=ひとつ多いから
1=おとっ(弟)=ひとつ少ないから
というのは何となく覚えています。
後は普通に本数だった記憶。
0は「おらん!(いない)」だったかなw
後半になるにしたがって酔っ払ってくるから、ほとんど叫んでる……
というか奇声上げてる状態になります。
単純なゲームですけどめちゃ盛り上がるんですよ!
勝利条件は相手がギブアップするか、酔い潰れるかする事。
男の面子?というか、ただの飲み比べ大会です。
宴会芸ですね。
時間が過ぎるごとに酔っ払い共が増えて大騒ぎになります。
でも残念ながら祖父母宅ではこの遊びは男衆限定でねー。
小さな子供と女衆は参加不可でした。
大きなお兄さんは最初の一杯だけ飲んでたような。
(さすがにマズイもんね)
焼酎は湯割りだったと思いますが、芋焼酎は度数が25くらいあるんですよね。
それをお猪口とはいえグイグイ飲むんですから、
余裕ぶっこいてると物凄い事になるんですわw
私の父は寡黙な人でしたが、そんな父が顔を真っ赤にして
ゲラゲラ壊れたみたいに笑っているのを見るのは妙な気分でしたねー。
男衆がそれで大騒ぎしていた間、女衆は食べて喋ってましたし、
子供達は家中を走り回って遊んでいました。
祖父母宅、とても懐かしいです……
昔の家屋って広いですもんね。
人数も多いから布団部屋とかあったなー。
皆でかくれんぼしてました。
昔は囲炉裏とかもあったそうですが、危ないからと潰してしまったそうです。
すぐ下には叔母宅があって、そこには掘りコタツがありました。
飼い猫が二酸化炭素中毒で何匹か死んだそーです(オイオイ)
母が「ねこばかぼしっ」と言ってました。
「猫は馬鹿だから仕方ない」という意味らしいです。
今はほとんど見ませんけど、一段低い板間の賄い場があって
そこで集まりの膳とかを準備してたのを覚えています。
あ、そういえば井戸があったわ、あの家!
夏場に西瓜とトマトを冷やして食べた思い出があります。
井戸の水って本当に冷たいのよね!
祖父母宅は山の中だったので、夏場でも寒い位涼しかった記憶。
寝る時は大きな蚊帳を吊って従兄妹達と寝てました。
それにしても昔ってどこの家でも料理膳は作ってました。
食べる方はいいけど準備する方は本当大変ですよ。
器から膳まで出して仕舞ってですからねェ~
今は本当にいい時代になりましたよ。
祖母はとても優しい人で大好きでした。
でも祖父の記憶はほとんど無いですね…すぐに亡くなってしまったし。
今はもう、その祖父母宅もありません。
思い出のなんこも、懐かしい家も、今はもう遥か記憶の彼方です……
私が子供の頃、祖父母宅に親戚一同が集まったりすると
大人達はいつもこの遊びをやっていました。
ルールは簡単。
向かい合わせになったら右手を後ろに回し、
手の平の中に3本以内の棒を隠し持ちます。
同時になんこ盤の上に棒を隠して突き出し、
合計何本か互いに言い当てるというゲームです。
当たったら勝ち。
間違っていたら罰として猪口に入った芋焼酎を飲みます。
両方外れたら両方飲みます。
これって薩摩独特の遊びなんですね。
最近知って驚いています。
なんこは「何個」か「南交」が語源らしいですが不明です。
懐かしいですねー。
なんこに使う棒は1㎝角ほどの艶々した15㎝位のやつだった記憶。
無い時はお箸を短くして使っていたと思います。
確か専用の碁盤みたいな「なんこ盤」がありましたよ。
無い時はテーブルの上だったかな。
説明してるサイトさんによると土地によって掛け声は違ってるようですが、
祖父母宅では子供心にも奇声としか聞こえなかったから
多分古い薩摩言葉だったのでしょう。
でも数を当てる時の
3=あにょ(兄)=ひとつ多いから
1=おとっ(弟)=ひとつ少ないから
というのは何となく覚えています。
後は普通に本数だった記憶。
0は「おらん!(いない)」だったかなw
後半になるにしたがって酔っ払ってくるから、ほとんど叫んでる……
というか奇声上げてる状態になります。
単純なゲームですけどめちゃ盛り上がるんですよ!
勝利条件は相手がギブアップするか、酔い潰れるかする事。
男の面子?というか、ただの飲み比べ大会です。
宴会芸ですね。
時間が過ぎるごとに酔っ払い共が増えて大騒ぎになります。
でも残念ながら祖父母宅ではこの遊びは男衆限定でねー。
小さな子供と女衆は参加不可でした。
大きなお兄さんは最初の一杯だけ飲んでたような。
(さすがにマズイもんね)
焼酎は湯割りだったと思いますが、芋焼酎は度数が25くらいあるんですよね。
それをお猪口とはいえグイグイ飲むんですから、
余裕ぶっこいてると物凄い事になるんですわw
私の父は寡黙な人でしたが、そんな父が顔を真っ赤にして
ゲラゲラ壊れたみたいに笑っているのを見るのは妙な気分でしたねー。
男衆がそれで大騒ぎしていた間、女衆は食べて喋ってましたし、
子供達は家中を走り回って遊んでいました。
祖父母宅、とても懐かしいです……
昔の家屋って広いですもんね。
人数も多いから布団部屋とかあったなー。
皆でかくれんぼしてました。
昔は囲炉裏とかもあったそうですが、危ないからと潰してしまったそうです。
すぐ下には叔母宅があって、そこには掘りコタツがありました。
飼い猫が二酸化炭素中毒で何匹か死んだそーです(オイオイ)
母が「ねこばかぼしっ」と言ってました。
「猫は馬鹿だから仕方ない」という意味らしいです。
今はほとんど見ませんけど、一段低い板間の賄い場があって
そこで集まりの膳とかを準備してたのを覚えています。
あ、そういえば井戸があったわ、あの家!
夏場に西瓜とトマトを冷やして食べた思い出があります。
井戸の水って本当に冷たいのよね!
祖父母宅は山の中だったので、夏場でも寒い位涼しかった記憶。
寝る時は大きな蚊帳を吊って従兄妹達と寝てました。
それにしても昔ってどこの家でも料理膳は作ってました。
食べる方はいいけど準備する方は本当大変ですよ。
器から膳まで出して仕舞ってですからねェ~
今は本当にいい時代になりましたよ。
祖母はとても優しい人で大好きでした。
でも祖父の記憶はほとんど無いですね…すぐに亡くなってしまったし。
今はもう、その祖父母宅もありません。
思い出のなんこも、懐かしい家も、今はもう遥か記憶の彼方です……