2019年06月16日

「恨」

昔、とても素敵な作品を作る芸術家の人がいた。
ある時その人が、ある会合で「自分はにほんとにほん人を憎んでいる」と
発言したと聞いて物凄く驚いた。
韓国人だったけれど、祖国よりもにほんで暮らした時間が遥かに長く
勿論教育もにほんで受けている人だ。
戦後生まれなので、当然当事者ではない。
そんな人でも韓国人である以上「にほん人を憎む」のだという。
当時は国際問題には興味がなかったので「おかしな事を言う人だ」と思った。
しかし今ならとても理解できる。
これが「恨」というものなのだろう。
未来永劫、受けた恨みを忘れれない民族の宿命らしい。

そしてこれは、にほん人にはまったく理解出来ない心理である。
にほん人は根本的には恨まない性質の民族だと思う。
私は「原爆を落としたアメリカを憎んでいる」という人に会った事がない。
心の中で思っていたとしても、言葉に出す人はほぼいないだろう。
もちろん刹那的には激しく恨むのだけど持続性がない。
だから「何世代にも続く恨みで殺人が起こる推理小説」に興味を持つ。
珍しいからだ。
そして恨みを晴らしたら、そこで一旦区切りをつける事を好む。
後々まで引き摺らないのである。
赤穂浪士とかがその典型であろう。
事件→恨む→報復→客大喝采→大団円、である。
このドラマを年末にやるのは、この区切りの良さにあるのではないだろうか。
年毎に恨みを浄化するわけだ。

にほん人はリアリストでもある。
「感情」よりも「理論」優先なのである。
メモ魔であり、蓄積された膨大なデータを持っている国である。
ここが韓国人と真逆な点で、彼等は「理論」よりも「感情」優先だ。
その為に二国間の問題は根本的に食い違うのである。

例えばにほんのネットで誰かが感情的な主張をしたとすると、
誰かが「そのソースは?」と言い、誰かが「ほい、これ」とそれを出し、
誰かが「そのソースは信憑性があるのか?」と聞き、誰かがそれを検証し、
誰かが「それは○○である、ゆえにその主張は××だ」と反論する流れになる。
韓国のネットでは翻訳サイトを見ていての感想だが、
そういう流れになるのは少ないようだ。
まれに理論的に反論している人がいるが、大多数に無視されてる感じ。
まーなるようならば、こんな状況にはなってないか。
声の大きい方が勝つというのは、そういう事なのだろう。
にほんには「声闘」などという文化はないのだ。

そして韓国が「中華思想文化圏」なのが大きいと思う。
中国に近い方が偉い、という例のアレだ。
なので韓国の方がにほんよりも偉い国だと彼等は考える。
にほんにも儒教という形で「中華思想」は伝わったはずだが、
どういうワケだか浸透しなかった。
なぜならにほんは儒教すら魔改造して自国に取り込んだからである(笑)
「中華思想」はすっぱり抜かれているので、隣同士なのに違う価値観になった。
彼等は自分達の方が上なので「恨む権利」があり「集る権利」があると考える。
にほん人は「同等」なので「話せば分かる」と考える。
問題の根本はこれだと思うが如何せん。
向こうが自分達が上だと教え込まれた価値観を、変える事はまず不可能だろう。
こちら側もいまさら上下関係云々言われても受け入れるのは不可能である。
つまりどちらの価値観を変えるのは無理な話というわけだ。

この問題の落し処を考えてみたが、結局「最低限のお付き合い」が
互いの精神衛生上一番いいのだろう。
親韓サイトによると、韓国人は個人で付き合うにはとても良い人達だが
「歴史的問題には絶対に踏み込まない」のが大前提だそうだ。
韓国人はこの先も好きなだけ、にほんを恨んでいくといいと思う。
にほん人はこの先、韓国とは遠ーーーく遠く距離を取りながら、
間違っていると思う歴史や物事に関して、ひとつひとつ
理論や証拠を丁寧に拾いながら反論していく事になるだろう。
posted by にょん at 01:53| Comment(0) | 日韓問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする