2021年03月05日

アニメの人はアニメ人

「進撃の巨人」がファシストだというYoutuberの動画が
どんぐりこ様で話題になっていました。
コメント欄がなかなかにバトルしていて面白かったわ。
特にこのコメは秀逸↓

どっかのやつはこれをユダヤ人の歴史と呼び
どっかのやつはこれを日本人の歴史と呼び
どっかのやつはこれをアフリカ白人の歴史と呼ぶ
人間見たいようにしか見れんのだなぁ


真理である。
百人の人間が見れば、百通りの解釈が出る。
それが作者のメッセージとは違うものであったとしても、
皆が考え、議論出来るのは素晴らしいね。
「進撃の巨人」が良いエンタメだという証だろう。
語る価値も無い作品は、忘れ去られていくだけだから。

ところで最近、何故か日本の漫画・アニメは
対ポリコレ戦闘員みたいな位置づけになってないか?
「卯月ちゃんが大人の女に見えないから女性差別」とか、
女の私でも意味ワカランぞ。
アレはああいうキャラ付けなんだがな。

こういうポリコレ騒動に巻きこまれると、大抵日本では
「嫌なら見なきゃいいのに」という反応になるね。
このセリフを説明するならば、まず前提に
「アニメの登場人物はアニメ人」という共通の価値観が
日本人同士にはあるということだ。

人種・見た目・性格等はそのキャラを際立たせるための
アイコンにしか過ぎない。
特に人種は特定のデンプレから、個人のキャラを観客が
想像し易いようにしていると思う。
例えば「几帳面なドイツ人」とか「女好きなイタリア人」
といった感じの世界共通認識だ。

日本のアニメのほとんどは国内向けである。
日本では「タラコ唇のキャラは黒人を馬鹿にしている」
などという論争は絶対に起こらない。
だってその人、「アニメ人」だから。
そういうキャラの人だから。

先のセリフは前提込みで語るとこうなる↓
「二次元のエンタメに何言ってるんだか。
 嫌なら見なきゃいいじゃん……( ̄д ̄)」


独裁国家でも無ければ、選択の幅はいくらでもある。
見るのも自由、見ないのも自由。
その自由を行使すればいいと思うのよね。
見ている本人がアニメキャラに特定の人種を見出しても、
それはその人の自由だが、それを他人に強要することは
出来ない、というより許されないと思うけど。

一部業界関係者は海外の流れに融合する気配を見せてるが、
正直、失敗するだろうと思うよ。
某日本人映画監督が「日本のアニメはガラパゴスで、海外
では恥ずかしい」とのたまわっていたが、阿保だねー。
日本のアニメはガラパゴスだからこそ生き残ったのに。

終戦後、生活すべてアメリカに飲み込まれていたら、
日本の文化は残らなかったはずだ。
しかし敗戦しても尚、日本人は独自路線を突っ走った。
その結果が現在の「ガラパゴス文化」になった。

ある意味、巨大な権力に立ち向かう?パルチザンみたいな
存在であると言えなくもない。
(単に変態性が高いということも)
対ポリコレ先鋒に担ぎ上げられても仕方ないかもね。
……というか、そこまで不便な思いをしてまで、アニメを
見ないといけないのか謎ですな。


posted by にょん at 10:19| Comment(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする