2021年08月13日

自虐史観とアイデンティティ

昔、とある外国人がこう言った。
「日本人は”日本は終わった国、価値の無い小国”
という自虐思考を止めるべきだ。
客観的に見ればそれは謙虚さでは無く、
自分達より小さな国を無意識に馬鹿にしている」と。

韓国政府が「日本は衰退国」とHPに載せた件。
その反応で特に興味深かったのが
「日本が衰退国というのは確か」という枕言葉が
多くの日本人コメントについていたことだ。
「日本は確かに衰退してるし、終わった国だが」
という風に。

ちょっと考えてみよう。
何を国家衰退の基準とするか。

経済規模だとすれば、GDPが2位から3位へ落ちたことが
「絶望的な衰退」「価値が無くなった」
ことになるのだろうか?
だとすれば、他の国々は一体どういう位置づけに
なるというのか。
中世、世界の覇者だったイギリスやスペインは?
この世界には200もの国があるというのに。

「成長していない」ことは「衰退」だろうか。
ちなみにGDPはこの30年ほぼ横ばいだが、
超微妙に上がっていて、数字的には「停滞」している。
他国と比較するなら「衰退」になり、
自国だけに目を向けるなら「停滞」である。
もとより狂気のバブル期と比べるのが変だと思う。

日本という国は実に古い国だ。
世界歴史年表というのがある。
国が興り滅亡し、また新たな国が生まれる栄華衰退の中、
一番下にあって同じ民族が有史以来変わらずひとつの
王朝を維持しているのは日本国だけである。
他国と比較しようにも、
他に同じような国家が無いので比べようがない。

国としては最長老にあたる。
言うならば国家としてはすでに成熟しきっているため、
新興国のような成長を望むすべはない。
それでも飛躍的な高度成長を再び望むなら、
全てをご破算とし、一から始めるしかないわけだ。
もしくは宇宙にでも進出するか。
日本人の自虐史観を払拭するには、
何かガツンとした出来事でも起こらないと無理だろう。

私は思う。
戦後、GHQと左翼が蔓延させた自虐史観の根は深い。
教師が国旗掲揚を拒否していた時代もある。
今の中高年層は、エコノミックアニマルと呼ばれ、
欧米で日本人が侮辱されていた時代を覚えている筈だ。
私達は自国を「好き」という概念すら習わなかった。

あの頃は「日本凄い」などいう言葉は聞かれなかった。
マスコミは如何に外国が優れているか、日本が如何に
欧米文化から遅れているかを盛んに煽っていた。
マスコミというのは、いつの時代も反体制であり、
人民を煽るのが仕事だと思っているらしい。

今はだいぶマシになったが、ひと昔、
自衛隊へのバッシングは酷いものだった。
自国を守る軍隊をこれほど忌避する国民はいない。
災害支援など、有り余る恩恵を受けながらだ。
こんな変わった偏向を持つ民主国家は無いだろう。

五輪が終わり、次の大イベントは総選挙になる。
国民は投票に行く前に考えなければならない。
特に次の世代の有権者達がが選ばなくてはならない。
自分達はこの国をどんな国にしたいのか?
自由主義?共産主義?

もし移民政策がもっと大規模になれば、
人口は増え、外国人参政権も認められて、
クローバル化した「ありふれた」国になるだろう。
それは同時に「日本」という国の個性が失われ、
日本人のアイデンティティが歪む時だ。

無論、成長し続けられれば一番いい。
しかしそれが無理だとしても、自虐に走る必要は無い。
覇権国になるのが最大目標だった時代は過ぎた。
私はどんなに国が小さくなってもいい。
先人達から脈々と受け継がれてきた、
日本文化を継承していける国であって欲しいと思う。



posted by にょん at 00:06| Comment(0) | わたしはこう考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする