2022年10月30日

韓国梨泰院圧死事故

■【韓国梨泰院圧死事故】
「ドミノのように人の下敷きに」
…倒れた友達の手をつかんで嗚咽した

   (中央日報)

引用元
https://japanese.joins.com/JArticle/297147

現場から抜け出した人たちは共通して壁や柱を
つかんでいて倒れなかったと伝えた
(同)

痛ましい事故が起こってしまいました。
死亡者151人だそう。
狭い坂道で押し合い圧合いしていたところに、
新たな波(有名人を見にきた)が押し寄せて、
将棋倒しになったようですね。
死因が「圧死」とか……
うわぁ、想像しただけで息が詰まるわ。

事故5分くらい前の動画をうっかり見てしまった。
気の弱い方は絶対見ちゃ駄目よ。
この時点ですでに悲鳴が上がってるし、
もうどこにも逃げようが無いのが見て取れる。
凄い絶望感。
道の端の方にいて、掴まるものがあった人は
本当に良かったですね。
九死に一生を得たというか……
運命の分かれ道ってこういうことを言うのだわ。
被害者は小柄な女性が多かったそうです。
何とも辛い。

こういう悲惨な事故に対して「やったぜ」とか、
ネットに書き込むのは止めて欲しいもんだ。
例え敵国の国民だとしてもね。
ただ、これはまた政治的パフォーマンスに利用
されるのだろうなとは思う。
あれもこれもユン大統領と与党のせいにされて、
(警備体制の不備とか、救助が遅いとか)
弾劾されるのではないかしら。
どう考えてもセウォル号案件だし。
流石に体育館とカラオケはないと思いたいが……


posted by にょん at 14:32| Comment(0) | 海外の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓国に対する愛情

■「韓国に対する愛情はないのか!」
うそを事実と認めるのが愛情ですか?

    (Money1)

引用元
https://money1.jp/archives/92407

「韓国史研究が韓国に対する温かい愛情を前提と
しなければならないことを強調したい」
と述べたため、日本側のほとんどの委員が心底
あきれて終わった
(同)

Money1様による、いわゆるネットスラング的な
「韓国に対する愛情はないのか!」についての
記事です。

あれって元々は
「愛情というものがなくちゃならんだろ!」
だったのですね。
意訳だったのかwww知らなんだ。
元は知らずに使ってる人も多いだろうなー。

代表幹事↓
「他国の歴史に対して、なぜこう了見が狭いのか
不思議でならなかった」
(同)

………(;・∀・)………
貴方たちの方がよっぽど不思議ですが?
歴史研究に「了見が狭い」とか「愛情を」とか、
感情論を持ち込む方がどうかしてると思うけど。
解釈や意味づけは見方によって変わるけど、
事実は事実、それは動かせないですからね。
それを認めないと「了見が狭い」??
ノーベル賞が遠い理由って……。

「愛情があるなら認めるべき」もしくは
「愛情があるならこちらの希望通り動くはず」
という考え方は、今の日韓関係破綻の原因の
一つにもなってるよね。
(それを端的に言い表したのが「リスカブス」)
ニホンガー戦犯国ガ―旭日旗ガ―連呼も、
根底にはこれがあるのでしょう。
日本沈没が彼らの悲願なのも同じかな。
愛憎は紙一重っていうし。
でなきゃ普通は敵国に旅行になんか来ないもん。

まー問題は「その相手にも選ぶ権利がある」
ってことなんだけどさぁ……
気づいてないよねー。
つか「上位の国になれば愛される!」という
認識がそもそも間違いなんだけど。
マウント取ってイキってるうちは無理だと思う。
posted by にょん at 08:56| Comment(0) | 日韓問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする