ガザ関連のコメントに、
「日本が仲裁役に立てないのは、
日本が弱い国だからだ」というのがあって
ああ、そういう捉え方もあるのかと改めて
考えさせられました。
個人的な所感だと、日本では
「ガザへの非人道的行為は即止める
べき」だが「これまでやってきたことは
どっちもどっちで、どちらにも肩入れしたく
ない」つまり「宗教戦争には関わるべき
ではない」という流れで「仲裁役」を
望んでいる人は極少数派だと思う。
ウクライナと比べると、
明らかに熱量が違ってるよね。
侵略戦争だと現実的な不安があるが、
宗教戦争だと「そもそも元は同じ神様
なのに何で殺し合ってるの?」としか
思えないしさ。
普通の日本人(八百万神の国の人)
としてはそういう感想しか持てない気が
するよ……歴史的に他国と宗教戦争を
したことのない国だから。
「聖戦」という概念を持ってないしね。
やっぱり人間が平和に生きるには、
「きっちり棲み分ける」しかないのかも。
国の中に国を作ったのは本当に悪手
だった(主に英国と国連のせいだが)
移民・難民問題が顕著になり、
多様性だグローバル化だといいながら、
結局、世界は今まさに真逆な状況に
陥っている……何ともお笑いだね。
※スイスの小さな村で、移住者から
「カウベル(牛がつけてる伝統的な鈴)
が五月蠅くて眠れない」
と苦情申し立てがきたそうです。
どこでもこの手の問題はあるのですね~。
日本でもカエルとか鐘とか子供の声とか、
イロイロあるよね。
これに対しての農民側の反論。
「自分と自分の牛に対する侮辱だ」
「伝統は守らなければならない」
おおっ……恰好いい(*´ω`*)
日本人もこれくらい言いきれるように
なりたいもんですねェ。
苦情にただ従うのではなくて。