2024年11月29日

何でも自由に描ける自由

先日、パンドラの憂鬱の憂鬱様の翻訳コメで、

「何でも自由に描く」という日本の漫画の価値観

というのを見かけて考えたこと。

日本の漫画が「何でも自由に描」けるのは、

それは「一人の作者の脳内から、画もストーリィも生まれ出ている」からだ。

脳内だから、設定・モラル・無限大に何でも出来る。

他人が脳味噌ほじくりだしても同じものは絶対に描けない・作れない。

作者が亡くなったらどんな人気作品であろうとそこで途絶える。

まさしく作品は唯一無二、だからこそ価値がある。

分業や所有権にガチガチに固められたアメコミやウェブトーンと違うところやね。

どこにも「代わり」がいないんだよ。

生み出した脳味噌は一つしかないんだから。

そして一番忘れてはならないのは「創造する自由」と「消し去る自由」、

それを「許容する価値観」が文化の土台にあるということ。

この価値観が大衆に浸透していなければ、漫画と言う文化は残らなかった。

考えたら実に面白い文化だよね。

たった一人であの膨大な画を描き続ける熱量といったら!

人生の等価値が金銭だけなら絶対に起こらない文化だろう。

だって「アナログ」で「非効率」で「無駄」な作業には違いありませんから。

しかし私達はなぜ血反吐を吐いてまで、そんな漫画を描こうとするのだろう?

プロから同人まで、多分答えはひとつしかない。

「描きたいから描く」、これだけ。

最終的に他人に読まれまいが酷評されようがどうでも良くってさ。

「とにかく脳内のものを描いて残したい」ってことに尽きるんじゃないかな。

こういう大衆の熱量が文化の源になるーーーー

自由と文化って、その国の名もなき民が選びとるものなんだ。

※みどりこ様へ<続きより返信ありです ヾ(・◇・)ノ ピヨピヨ

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posted by にょん at 12:16| Comment(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする