2019年05月06日

にほん人――この不思議な宗教観

にほんは多神教の国だと言われています。
根は古代から続く「神道」でしょう。
自然崇拝、祖霊崇拝という土着信仰です。
それに外からはいってきた「仏教」が混ざり合って、
ちょっと独特の宗教観が出来たのが、にほんという国なのです。

民間信仰の神様から神話の神、人神まで、
八百万(やおよろず。数ではなく無限にいるという意味)の神々が国の津々浦々、
便所には便所の神様が、厩には厩の神が、物には付喪神というふうに、
この古い国のあらゆる場所に居らっしゃるのです。

この神々は人間と契約を交わしたりしません。
だから経典とか無いし、教祖もいないし、契約の儀式もありません。
一方的に怒ったり、まれに褒めてくれたりする気まぐれな神々です。
故に神様を怒らせたり不快にさせたりしない様、
私達は祠を祀り、場を清め、供物を捧げて「どうぞお怒りをお鎮め下さい」と祈り、
安全や豊作を願い祭事をし、叶えばただただ感謝するのです。

これはやはり自然災害が多かったせいだと思います。
大自然の前に人間はまったく無力ですから、
恐れ慄く事しか出来なかった。

にほんでは、亡くなった方は生前の行いに関係なく「御霊」になると
考えられています。
しかし人によっては怒りが凄まじく、死後「怨念の御霊」となる事があります。
祟り神ですね。
平将門とか菅原道真とか。
でも手厚く祀り上げる事で強力な守護神様になったりする…
人間の想像力って面白いですね。

そういえば昔「1・0」(ワンゼロ)っていう
古代中国より泥舟で渡ってきた神様達が、今は1と0の世界、
つまりコンピューターの中で復活するっていう漫画があって大好きだったなあ。
さすが古くなったロボットを祭る国であるw
とにかく万物すべてに神が宿るって考えが「神道」だから。

実際のところ「神道」は宗教というよりも文化そのものなんですね。
にほん人のDNAに深く組み込まれている集合意識。
日々の生活ではまったく意識していないけど、
ふっと考えると「あ、私ってやっぱりにほん人だんだな」って思う事が多い。
何気に石像には手を合わせるし、静寂な神仏殿では分を弁えたい。
物を捨てる時には神様に怒られないか気になっちゃうし。

だからどこぞの宗教が今回の改元の儀に対して、
「にほんは政治と宗教が分離していない、憲法違反だ!」とか難癖つけてるけど、
まったくの的外れですよ。
「神道」はすでに、にほんの文化そのものなのですから。


昔「ディープ・インパクト」って映画ありました。
あれで大統領が「神に祈って下さい」ってセリフがあったのよね。
もし「もう駄目だ!」って状況になったら、
自分は誰にお祈りするかなーって考えたんだけど、
やっぱり「神様、仏様、ご先祖様!」になるな、と。
みんなまとめて、にほんの神様(笑
やっぱり私、心底にほん人だよね。

それで「神道」に「仏教」が新興宗教として入り込んできたのですが、
にほん人はうまいところ取りして融合させた感じがします。

昔、古い家には必ず神棚と、仏壇の間があったと思います。
葬式とかは通夜から始まって普通に四十九日まで、菩提寺のお寺さんにお願いして。
そういう「形式」というか作法をちゃっかりと取り入れています。
そうして仏教はこの国に根付いていったのでしょう。

うちの地方では仏壇の事を「せんそさん」と呼んでました。
ご先祖様の事ですね。
仏壇の間は親類縁者の写真でいっぱいでした。
戦争で亡くなった方が多かった(出征の前に皆写真を撮ったそうです)

で、小さな子供の朝の仕事は、この仏壇の掃除でした。
花立の水を替え、炊き立てのご飯といれ立てのお茶、そして新しいお水をあげるのです。
時間がたってかぴかぴになったご飯は、出汁用にとった煮干と鰹節、
味噌汁をかけてにゃんこ達の朝御飯にします。
それからご先祖様の前で手を合わせて、
「今日も一日お守りください」とお祈りするのです。

他所からいただいた食べ物とかは、まず仏壇にあげて「仏様」に食べていただくのだけど、
考えてみたらこの「仏様」というのは、如来様と御霊になったご先祖様で、
神仏融合しているわけですね。
ご飯を食べる時の「いただきます」と「ご馳走さまでした」も確か仏教由来。

にほんには沢山の神様達がいらっしゃいます。
そこに優劣はつけません。
新年には神社で願を掛け、お盆にはお墓参りに寺へ行き、Xmasにはお祝いをします。
憲法20条でも「信教の自由は何人とに対してもこれを保障する」とありますし。
ですからにほんは神様を差別しないし、他国の宗教にもとても寛容な国です。

誰かが変わった宗教を心棒していたとしても、それが犯罪組織(例えばオームのような)
とかでなければ、にほんで弾圧される事はないと思います。
ちよーっとアレな感じの宗教の場合でも、にほん人はあからさまに態度に出したりしません。
「あー…そーなんだーふーん…」といった感じで大人対応しつつ、
じょじょに距離をとって離れていく―――だいたいのにほん人はそんな感じでしょう。

しかしそんなにほん人でも、大激怒する事例があります。
それは「その宗教を強要される事」です。
ここは声を大にして言いたいところですね。
大方のにほん人は、他宗教を容認し存在を拒否しませんが、
それを個人の枠を超えて強要される事を何よりも嫌います。

この間、それをやって炎上させていたイスラムの方がいましたねー。
にほんでは決して他人の宗教に関与しないこと。
これはこの国で暮らすうえでの鉄則です。



posted by にょん at 04:29| Comment(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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