2019年05月21日

薩摩隼人という戦闘民族について

先日ニコ動で、アニメのドリフターズを見てました。
コメ欄で「島津ー島津ー」連呼されて、薩摩民としてはちょっと嬉しいvv
薩摩が戦闘民族ですと!?
ふっふっふっ、実はその通りです。

関ヶ原の島津の退き口は有名ですが、生麦事件も大概ですね。
何しろ一地方の分際で、中央政権はおろか大国エゲレスにまで喧嘩を売ったのは
薩摩藩くらいのものでしょう。
ついでにその時の賠償金を政府に出させ、それを踏み倒したのも薩摩藩。
どうも軍艦購入代金すら政府に借りて踏み倒した模様(汗
その後、戦争相手にも係わらずエゲレスと(勝手に)仲良くなるんだから
薩摩というのは、本当に面白い藩ですね。

関ヶ原脱出後は使者を送って徳川方と交渉をしながら、
藩をあげて境目に徹底抗戦の陣地を築き、「来るならこいやァ!」と恫喝し、
お蔭様で西軍方にも係わらず、領地が変わらなかった稀有な藩でした。
瀬戸内海で幕府の目を逃れて密貿易をしていたのも薩摩藩。
実はどこかの国際万博に徳川とは別に勝手に藩で参加して、
会場でかち合い大喧嘩になったのも薩摩藩です。
戦闘民族っていうか、梁山泊みたいな人達ですなw

鹿児島弁というのはとても難解な方言らしいです。
関東の親戚が「何言ってるのか全然わかんない!宇宙人語?」と言ってましたね。
ドリフターズの豊さんのはか~なり上品な現代風薩摩弁(笑)
イントネーションが本州とは全く違うんですよねー。
スパイ防止用だった説とかありますが、単に中央政権から一番遠かった為、
独自言語が発達しすぎたのかも知れません。
ちなみに28代斉彬さんは生まれも育ちも江戸だったため、
話す時は家来の通訳が必要だったらしい……通訳てorz

しかし薩摩が中央政権に反旗を翻したのは、江戸時代が初めてではありません。
700年代にはすでに、この地にいた部族が反乱を起こしています。
もともと「薩摩隼人」というのは、この人達の事でした。

日本大百科全書によりますと―――


  古代の南部九州の居住民。(略)
  7世紀後半の隼人は、その居住地によって阿多(あた)(薩摩(さつま)半島)隼人、
  大隅(おおすみ)隼人と区分されていたが、
  8世紀には阿多隼人にかわって薩摩隼人の名称がみられることからすると、
  隼人の居住地は概して現在の鹿児島県を主体としていたのであろう。
  8世紀になって薩摩・大隅両国が日向(ひゅうが)国から分立し、
  律令(りつりょう)支配が浸透すると
  隼人は朝廷に対し抵抗し、720年(養老4)には大規模な抗戦を起こした。
  このとき、大隅国守陽侯史麻呂(やこのふひとまろ)が殺され、
  大伴旅人(おおとものたびと)を持節大将軍とする征隼人軍が派遣されている


この時点ですでに中央政権に抵抗する戦闘部族だったんですね。
どんだけ反抗好き民なんだw
あと、これには書いてありませんが「入来(いりき)隼人という人達もいたはず。
脈々と流れる反逆の血脈よ!…と格好良く言いたいところですが、
実はこの薩摩隼人と薩摩藩との繋がりはよく分かってないとか。
どうもインドネシア系の民族ではないかと言われていますが、
ひとつの部族に与えられた名称ではなく、
朝廷が南方の辺境民をまとめて隼人と呼んでいた可能性もあるそうです。
墓とか残ってないので、よくわかっていないようですね。

考えてみると、鉄砲もキリスト教も、
南蛮の風は常に薩摩からもたらされていた……
古代史って浪漫ですねェ。





posted by にょん at 22:37| Comment(0) | 薩摩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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