2019年11月10日

日本と易姓革命

ある朝、家の外に出た。
私は超ド田舎に住んでいるので、四方すべて山である。
空は青く高く澄んでいた。
青々とした山並みは何処までもなだらか。
濃紺から薄緑まで、木々のグラデーションがとても綺麗だ。
自然は本当に美しい。
その時、私の頭に浮かんだのは
「何て平和で綺麗な国なのだろう!」という思いだった。
爆撃の音も銃声もしない。
これから出掛ける先で銃撃戦に巻き込まれる心配は皆無。
どんなド田舎でも蛇口を捻れば、普通に飲める水とお湯が出る。
どんなド田舎でも道はたいてい舗装されている。
昨日山奥を走ったが、こんな山奥でも舗装してある事に驚いた。
銃社会ではない事。
社会の隅までインフラが(程度の差はあれ)行き届いている事。
この二つはもっと誇っていい事だと思う。
多分万葉の時代の人々も、これと同じ風景を見ただろう。
この山並みのどこかに、人知れず墳墓が眠っていると思うと
心がちょっと熱くなる。

遥か古代と同じ民族が、同じ国民として存在し続けている事。
たった一つの皇室を国の象徴として存続させ続けてきた事。
これは地道に凄い事なのではないだろうか?
欧州や大陸では国どころか民族そのものが入れ替わっている。
政権が代わる度に国名が何度も変わる国も多い。
そんな世界の中で、不変で在り続ける事は難しかっただろう。
そういえば何故この国は国名を変えずにきたのだろう?
考えてきればちょっと不思議な話ではある。
倭国から日本に変わっただけで、時の権力者達は誰も自分の名を
冠した国名を付けなかった。
例えば徳川家康は統一の際「徳川国」に変えたりしなかった。

それは日本に「易姓革命」という思想が無かったからだと思う。
日本は古代中国の影響をかなり受け入れた国だが、
何故かこの易姓革命という思想だけは受け入れていない。
現政権が倒れても、最高権力者たる天帝はいるので
次の政権は頭を入れ替えるだけで事足りる。
根本的な体制は変わらないわけだ。
ある意味、実に合理的である。
単一民族である事、隔離された島国であった事、
ゆえに前の文化を壊す必要性がまったく無かったからだろう。
中国史は易姓革命という名の抗争と粛清、異民族による
大量虐殺の歴史である。
日本が影響を受けた古代中国という国家はすでに歴史の彼方だ。
易姓革命ではないが、宗教という名の元に侵略戦争を繰り返した
欧州も同じような歴史を辿っている。
大陸国家の歴史は異民族との血を血で争う攻防の歴史だ。
どこかで読んだが、海洋という鉄壁の防衛ラインを持つ日本は、
その長い歴史において異民族との戦いに明け暮れずにすんだ
実に稀有な例らしい。
弱肉強食の外国人勢に比べると、日本人が無防備で危機感が
薄く、呑気な民族性なのは必然と言えるのかも知れない。



posted by にょん at 11:29| Comment(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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