川崎のヘイト条例について。
この条例は「日本人が日本人以外、及びその子孫に対して
差別をする事に対して刑事罰を下す。日本人に対して差別を
しても処罰しない。」と明記した特権階級保護案です。
少数の権力者が大多数の一般人に何を言っても許される構図
……何かに似ているな、と思ったらアレですね。
両班と白丁。
川崎市はこの李氏朝鮮時代の制度を日本国に導入するわけです。
例えば川崎市住民Aさんが在日Bさんに「嫌いだ、国へ帰れ」
と言った場合、Aさんは処罰されます。
しかしBさんがAさんに「嫌いだ、この国から出ていけ」と
言ったとしてもBさんは処罰されないわけです。
ヘイト法が悪いとは誰も言っていません。
その法を人種に関係なく平等にしろと言っているのです。
これはおかしな要求でしょうか?
当然の要求だと思いますが?
私は韓国人が真に望んでいるのはこれなのだろうと思います。
つまり李氏朝鮮時代の再来、両班の韓国人、白丁の日本人。
彼等が本国でやっている事はまさにこれですね。
自分達を最上位に置き、身分の低い他国人(ほぼ日本人です)
を下賤の民とし獣のような扱いをする。
安倍さんがされている事を見れば良く分かりますよ。
足で踏みつけられる、切られる、火をつけられる……
写真や人形とはいえ他国の指導者にするような行為とは思えま
せんが、彼等が両班ならば理解出来ます。
安倍さんは彼等からすれば「白丁の指導者」なんですよ。
だから全力で叩き潰そうとしている。
歴代政府が焚きつけたといえ反日が常識になってしまったのは
韓国総両班化を望んだ韓国民の総意だと言えます。
そう考えれば日帝時代は実に恰好のターゲットでした。
日本人は大人しく、イザコザが起これば曖昧に収めようとする
傾向があり、すなわち大声に委縮しやすい。
実に真逆の国民性です。
つまり日帝が善であろうが悪であろうが関係ないのです。
日本人はそこに気づかなければならない。
併合であろうが植民地であろうがたいした違いはありません。
ようは両班に返り咲く為の踏み台でさえあれば良かったのです。
むしろ悪でなければ困る。
後から後から「日帝はこんなに凶悪だった」という証言が
筍のように沸いて出てくるのは当然です。
捏造された憎悪は燃料をくべねば鎮火してしまいますから。
旭日旗もそのひとつ。
サッカー選手の言い逃れの前までまったく騒がれていなかった
ものに、彼等が飛びついて反日の火種に使ったのです。
韓国人は「騙されている」のではありません。
彼等は自分も同胞も望んで「騙して」いるんです。
無意識にやっている人達も多いでしょう。
多分そういう人達には、なぜ日本が嫌韓に走ったのか、
永久に理解出来ないだろうと思います。
ちょっと話がずれますが、
「なぜ加害者に被害者を嫌う権利があるのか?」という問。
嫌う権利?当然ありますよ、というのが答えです。
道徳的優位はただの感情論です。
行動は裁けても人間の感情は法で裁けません。
例え殺人犯が被害者を嫌いだったとしても、
それ自体を法で裁く事は出来ませんから。
日本人の嫌韓はおそらく反日感情よりも根が深い、
というか深くなってしまいました。
韓国側は認めない、というか理解出来ないのは
白丁が両班に逆らうなどあり得ない事だからです。
彼等が知らないのは日本という国が2000年近く
単民族で乗り切ってこれたのは何故なのか?という事です。
私は日本という国(というより国民)は、
一個のアメーバ―のような物だと思っています。
危機的状況に陥るとアメーバーのように団結するからです。
戦争しかり、大災害しかり。
反日というのは現代の侵略戦争です。
これに危機感を覚えた日本人がアメーバーのように
今まさに集結しようとしているところなのです。
日韓関係を元に戻さなくていいと考える人が7割ですよ?
おそらく断交希望は半数を超えるでしょう。
この波は変えられません。
危険水位をどこで超えるのか―――
来年あたりが鍵かも知れませんね。
2019年12月16日
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