2020年01月03日

日帝併合時代の真実

車内ハングル表記情けない...東京前区議のツイート
去る4月にも、極右小説「うんざりする」ツイート
...日本国内「ハングル嫌悪」のみ

( 国民日報)

元議員さんのツイートが話題になっていました。
個人的にはハングル表記はいらないと思います。
市中に敵国の案内板があるのはおかしいよ。
攻め込まれた時の案内表示にもなるらしいし、
日本語と英語で十分じゃないかな。
どちらにしろ日本不買なのだから必要無いですね。

さて、カイカイ様のイルベ記事より。
「朝鮮総督府で作られた小学校の朝鮮語読本1巻」
というのが写真で紹介されていました。

1939年、日帝では無く朝鮮総督府発行。
イラスト付きで実に分かりやすい教科書ですね。
一部ですがカラーもあります。
最もこういう現物資料を見ても韓国人は、
「日帝は民族抹殺政策をした!朝鮮語を禁止した!
朝鮮人女たちを強制的に連行して性奴隷として使った」
ですから……全く聞く耳なし。
資料が資料の体を全く成しておらず、残念な話です。
しかし彼の国の反日教育を見れば当然なんですね。

天安市に「独立記念館」というものがあるそうです。
日本が残虐行為を犯した様子を見せつける博物館で
「日帝侵略館」といいます(まんまな名前……)
蝋人形による拷問シーンの再現があるわけですが、
子供達は必ずここへ連れて来られて「日帝はこんなに
残虐だった!朝鮮人は被害者だ」と学ぶ訳です。
でもその元になった資料は「韓国独立運動の血史」
という信憑性のないもの。
つまりがっつり捏造です。

しかし子供への刷り込みは完璧。
その子供が親になり、またその子供が……
こうして「日本=悪」というループが始まるのです。

日帝統治時代、朝鮮半島に日本人は2%しかおらず、
その人数で半島すべてを統治する事は出来ません。
つまり、本当の統治は「朝鮮人自ら」が行っていた。
もし残虐行為が本当に行われていたと主張するなら、
朝鮮人が朝鮮人にそれをしていた事になります。

事実、拷問のやり方が日本軍のでは無く中国式、
つまり朝鮮式なのです。
韓国の反日教育にはその視点がごっそり抜けている。
強制されたとしても日本人は少人数なのですから、
すぐに反旗の暴動が起こって成功したはずです。
しかしそういう暴動は起こっていない。
時折起きていた抗日運動は、特権を奪われた両班達
が起こしていたものです。

彼等のいう残虐行為の証拠はどこにあるのでしょうか?
私達が見たいのは「証言」では無く「物的証拠」です。
慰安婦にしろ、強制徴用工にしろ、
36年もの期間があったのですから、証言だけしか無い
なんて話は有り得ませんよね?
当時の外国人達が撮った写真を検索すると驚きますよ。
(後、当時の外国人旅行家の記述とか)
質素で素朴ではありますが、写っている人々はほぼ
皆良い表情をしているのです。
見栄えの良い所だけ撮ったにしても、残虐行為が横行
していたというなら表情にその翳りが見えるはず。
特に現北朝鮮で宣教師が撮った写真は皆笑顔です。
諦めた笑顔とか、こわばった笑顔では無く。
市井の人々の表情は嘘を付きません。
唯一、瘦せ衰えた男性達の有名な写真がありますが、
これは日本人の写真だと結論が出ています。

「日帝は言葉を奪い、民族抹殺政策をした」
当初、日本語を広めようとしたのは事実です。
「併合」したのですから、国民の意思疎通の為に
言葉を統一しようとするのは当然の事です。

その為に学校を建てまくりました。
修学旅行もその時の名残ですね。
しかしうまくいかなかったので(難解だったせいか)
結局前述のハングル語を広める事になります。
現在使われているハングル語は、元来あったハングル語
に日帝が少し手を加えた物なのです。

日本語由来の言葉がとても多いのはそのせい。
元来あったと言っても李氏朝鮮時代、両班以外の識字率は
愚民政策でかなり低かったので、一から広めた訳です。
つまり言葉を奪ったのでは無く「改良した」が正しい。
これのどこが「民族抹殺政策」なのですかね??
ちなみに「朝鮮名を奪われた」と言われる「創氏改名」
という制度がありますが、これは強制ではなく自己申告で
「日本名にしてもいいですよ」というだけの制度です。
(それまで改名は禁止されていました)
これもかなり捻じ曲げられた真実と言えます。

「食べ物を奪われ、土地を奪われ、残虐行為の挙句
逆らえば皆殺しにされた」
李氏朝鮮時代、ずっと横這いだった総人口が
日帝時代、急に倍増したのは何故ですか?

未だにこれに答えてくれる韓国人はいません。
品種改良された米の収穫量が増え、増えた米は
朝鮮総督府から日本政府が買い取っていました。
(そのせいで日本側の農家が被害を被った)
「収奪」では無く、「買い取り」です。
それでもまだ倍になった人口を養う程の収穫量があった
わけで、如何に国が豊かになったかわかりますね。
GDPが鰻登りだったのも当然でしょう。

「残虐行為の挙句、逆らえば皆殺し」という主張から
恐ろしくかけ離れた事実ではありませんか?

しかしこれらの真実は、日本を敗戦国として封じ込める
必要があったアメリカと、南朝鮮を独立国として
再建させたかった李承晩(韓国初代大統領)によって
歪曲させられ、反日国家として今に至ります。

1949年の李承晩が朝日新聞にあてた新年メッセージ↓
「過去40年、韓国人がうけた痛手は日本の軍国主義者の罪
であって、日本人もまた政府の同様に被害をうけた。
隣人の両国民はお互いに仲良くしなければならないことを
日本人は忘れてはならない」
ちなみにこの人は両班の生まれで、李氏朝鮮の王族出身、
日帝統治時代はハワイにおりました。
なんとまあ、大笑いですね。
彼が日帝時代を知らない独立運動家であった事、日本を
知らずに日本を憎みきっていた事
を、私達はもっと
知るべきだと思います。
posted by にょん at 08:35| Comment(0) | 日韓問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください