2021年04月28日

差別と区別と言葉狩り

■松山ケンイチの発言に物議…「嫁」という呼び方
    アリ・ナシ論争は「言葉狩り」か?

     (文春オンライン)

一方で、特定の宗教を肯定してしまうという配慮から
クリスマスに「メリークリスマス」ではなく「シーズンズ・
グリーティング」とするようになったメディアも多いが、
まだ拒否反応が強いという。


     ――———————

ちょいと前にファミマの「お母さん食堂」とか、
「はだいろ」とかも差別だって物議を呼んでいましたが。
まったくもって馬鹿馬鹿しい。
「嫁」ですか?
私はなーーんとも思いませんね。

「いやぁ、うちの嫁がさぁ…」とか馬鹿面下げてデレてる
オトコ、そこら中にいるじゃない。
呼ばれた本人が怒っているなら兎も角、
赤の他人が差別だから使うなっていうのはおかしな話。

「お母さん食堂」はさ。
「女性が料理をする前提なので差別」というのは兎も角、
「母親がいない人に対しての差別だ」って意見もあるのよ。
私も母親いないけど、そんな考え思いつかんわ。
流石にここまでくると脳障害を疑うね。

あれにもこれにも「差別」ってレッテル貼って、
何だか「差別」を建前に「区別」を無くそうとしてない?
差別と区別は違うでしょうに。
区別まで失くしたら、自由社会は崩壊する。

そんなギスギスした社会にして、一体誰が得する?
「言葉狩り」って独裁政権のすることだよ。
この国にそれをばら撒こうとしている人達がいるね。
「何もかも平等」って、とどのつまりは共産主義だ。

サベツガー!大声で叫ぶ人に限って「では男女平等なので
重たい荷物も各自運びましょう」なんて話になったら、
「女性に重たい物を持たせるなんて女性サベツダー!」
って絶対言うと思うぞ。

「メリークリスマス」に関しては「特定の宗教を肯定して
しまうという配慮」の方が意味不明だわ。
肯定して何の問題が?
自分と違う宗教の言葉は認められないとか?
これを認めない方がよっぽど差別的なんじゃないの?

「みんな違って、みんないい」と謳ったみすず先生の
言葉を思い出して欲しい。
平坦なグレー一色の世界なんて私は絶対御免です。
posted by にょん at 01:59| Comment(0) | 日本の問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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