2022年01月22日

日本人と神への線引き

以前どこかのサイトで「なぜ日本では布教活動が
難しいのか」という宗教関係者のスレッドを見ました。
「多神教だから」とか「宗教を信じていないから」とか、
そういう意見がほとんどだった記憶。

でも個人的には、
「日本人は宗教を強要されるのが大嫌い」っていうのも
あると思うのですよ。
オームの件もあって宗教アレルギーは確かにある。
でも根本的にずかずか内側に入ってこられるのが一番嫌。

細かく言うと「日本人には明確な心理的線引きがあって、
その線の外側なら許容するし共存もするが、
一線を越えて内側へ入り込まれると大反発する」かしら。

「一線を越えた」分かり易い例だとこれでしょう↓
2020年の記事です。

イスラム系の生徒の給食に豚肉が入ってて問題に
引用元
https://togetter.com/li/1551635

「こっちから線引いたら差別だと言うのだろう。
異国の地において異教を貫くのなら自ら区別するべき」

(ツイッターより)

まあ、当然こういう意見になりますよね。
私もそう思う。
この例だとムスリムの親からクレームがきて、
学校側が謝ったと。

しかし親も学校も最初で確認しなかったのかねー。
そのどちらにも落ち度があるのでは?
「ムスリムの風習を優先しない日本が悪い」じゃ、
日本人としては納得いかないですよ。

一神教というのは「自分の内側に一人の神を抱え込む」
ことだと解釈しています。
日本人はその境界に明確な線を引く民族。
八百万の神々はもっと原始的な存在で、
線引き以前に浸透した神だから、
他国の宗教者からは見えにくいのかも知れませんね。

これは逆説的に言えば「線を乗り越えなければ何でも
許容出来る」ということであり、
日本人がクリスマスやイースターなど、
他国の宗教行事を宗教的葛藤すらもたずに
ただの楽しいイベント事に変換してしまうのは、
この線引きがあるからこそだと思います。





posted by にょん at 23:08| Comment(1) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
二杯目でつらつらとm(__)m

宗教にアレルギーを持ってるんですよね。明治維新から神教を中心とした宗教観から西洋化してもキリスト教の流入があっても感化されない。冠婚葬祭は神社かお寺さんだった。今でもお宮参り、七五三、お葬式、新車を買えば神社でお祓いを受けて交通安全の御札をバックミラーにぶら下げるですから。

クリスマスといえば沖縄の我那覇真子さんのアメリカリポート、すごかったですよ。
あのアメリカでクリスマスが無くなった。クリスマス商戦もなく、バカ騒ぎもしなくなった。
左傾化していくアメリカ、怖いです。
Posted by 猪八戒 at 2022年01月25日 21:28
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