思い出深い先生がいいます。
いや、恩師とかそういうのではなく。
その女性は中学校の国語の先生で、
「おばあちゃん先生」と呼ばれていました。
今にしてみれば、
確かに孫がいてもおかしくないお年でしたけど、
おばあちゃんという程の年でもなかった。
子供って本当、残酷ですよね。
何が思い出深いのかというと、
その授業態度にありまして。
日教組の権力が強かった時代です。
自分の記憶では社会主義的な風潮がとても強く、
学校行事なんか軍隊みたいでしたな。
朝の朝礼から始まって、礼はまだ分かるのですが
北朝鮮並みに一糸乱れなく行進するとか。
あの頃はまだ、
国全体が戦前の風習を引きずっていましたね。
その先生には中一で出会いました。
小学校から上がってすぐ。
だから「これが中学校の授業方法というものか」
と思ってしまったわけですよ。
まあ、すぐ誤解だと気づきましたけどね。
兎に角、生徒の方をまったく見ない。
ずっと黒板に向かって、書きながら何か話してる
のだけど、黒板のせいで聞こえない。
その黒板に書いてあるのも、全部教科書の丸写し。
問)教科書の一部を書き写し。
「主人公はなぜそう思ったのか、該当部分を抜粋
して答えなさい。」
答)――以下、数行に渡る該当部分の書き写し――
これを延々やるわけですよ。
最初は生徒も真面目に書き写してるわけですが、
そのうち「これ、書く意味ないじゃん」と気づく。
流石に学級崩壊は無い時代(先生がまだ怖かった
時代です)ですから、一応大人しく座っては
いましたけど、ほぼレム睡眠状態でww
いやーあれほど眠かった授業は今でも無いです。
女子は当時、文通が流行っていたので
手紙を書いてる子が多かったですね。
私はイラストを描いてました。
男子は何をしてたのかな~記憶にないや。
ただ隣の席の子は消しゴム煉って?いたみたい。
机に穴ぼこがありましたからね。
そこのパテ埋め工事的な何かww
私はこの先生と年が近くなって、
なぜか彼女を思い出すようになりました。
おかしな話ですね。
一体、あの先生は何を想いながら、
誰も聞いていない授業をやっていたのだろうって。
子供が嫌いだったのか。
精神的に無気力になっていたのか。
勿論、本人にしか知りえないことですけども。
2022年02月20日
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