2022年11月04日

災害に対する国民性の違い

■梨泰院惨事を通して見る共同体的責任=韓国
   (中央日報)

引用元
https://japanese.joins.com/JArticle/297360?servcode=100§code=120

惨事の最も大きな原因は、我々の頭の中にこうした
事故の可能性自体が最初から入っていなかったと
いう点だ。
(同)

珍しく感情的にもならず淡々と分析してる、
中央日報のコラム。

かの国の人達はアナログを馬鹿にしているが、
こういう不測の事態へのマニュアルこそ、
「アナログ」対処そのものではないかしら。
0か1では対応出来ない危機管理能力。
膨れ上がる群集=危険という認識不足。
その軽視が今回の事故を招いたとはいえるかも。

そもそも事故が起こってから、
こぞって犯人捜しと責任者争いに始終してて、
何だかなぁという感じはしましたが。
成程、マニュアルとかは無かったんだなぁ……
日本も無かったけど、渋谷の馬鹿騒ぎで
対処法をマニュアル化した経緯がありますよね。
日本から「ハロウィン」文化?は取り入れても
そういう点は取り入れなかったのか。
「犠牲者は政治的攻防の素材」だなんて、
余りにも無残すぎる結末ですよ。

事故後に我々のメディアが犯人捜しに没頭する間、
原因を分析して詳細に報道したのは日本の
メディアだった
(同)

セウォル号の時もそうだったような……
日本のメディアは微に入り細を穿つ報道をしてたね。
(なので今だに遺族が「政府は原因究明をしろ」と
言ってるのが本当に理解出来ない)
今回も日本では、どこかの番組が「圧迫事故」の
再現実験をやったようです。
徹底してますな。
災害に対する国民性の違いでしょうか。
もし同じような事故が起こったとしても、
日本だと「責任者を出せ」の前に「原因究明」と
同種イベントに対する警戒心MAXが先にくるだろうと
思われます。
posted by にょん at 00:28| Comment(0) | 日韓問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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