2024年06月03日

熊襲と隼人は同じか否か

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■なぜ、天皇の祖先は「まつろわぬ民」の居住地だった
南九州に上陸したのか?【古代史ミステリー】

    (歴史人)
https://news.yahoo.co.jp/articles/21ac4aa0c3502f0408ce4cbc0ac9f18a7e27e84b
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こういう話題は大好物です♡

南九州の「まつろわぬ民」といえば「隼人」と「熊襲」。

居住地域が微妙に被ってる二つの部族ですが、

(熊襲は熊本寄り、隼人は鹿児島全土)

古代史に登場する時期が違ってるため、

熊襲(ヤマトタケルに討伐され服従)
    ↓
隼人(朝廷に仕える、たまに反乱する)
    ↓
「熊襲が大和政権に従ったあとの呼び名が隼人」

……が通説になってるみたいです。

んーーー個人的には別部族じゃないかと思うワ。

神話的にも熊襲は山の民、隼人は海の民 なので。

歴史書にその後が出てこないからといって、

「そこにいなかった」とは言い切れませんからね。

まあ、政権に組み入れられた後の時代には、

普通に混ざりあってただろうけど。

ところで記事の「なぜ天皇の祖先はまつろわぬ民の

居住地だった南九州に上陸したのか?」ですが、

高千穂が霊山だったので、中央政権がまつろわぬ民を

体制に組み入れるのに便利だったから、だと思います。

日本書記とか、奈良時代に編纂したやつですし。

後から力技で混ぜ込んだんじゃないかな。

そもそも朝廷側からすると、暴れ回る僻地の未開族を

武力だけで押さえ続けるのは大変ですよね。

従わせるには、それだけの説得力?が必要だったはず。

ホラホラ、元を辿れば我々は同じ民なんだよ~♡って、

単純明快な説明が案外効いたんじゃないかなと。

まあ、古代過ぎて真相は誰にもわかんない。

そこが魅力なんですけどね、古代史は。

そういえばwebマガジン・ジモコロさんに、

「熊襲」に関する旅行文がありましたのでご紹介。

隼人町にこんなところがあったんですね~。

入口が狭いのは敵避けのためかな?

古代の息吹を感じます……(*^-^*)

『クマソの穴』
ヤマトタケルに滅ぼされた部族が住んでた穴
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxy28


posted by にょん at 05:34| Comment(0) | 薩摩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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