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■なぜ、天皇の祖先は「まつろわぬ民」の居住地だった
南九州に上陸したのか?【古代史ミステリー】
(歴史人)
https://news.yahoo.co.jp/articles/21ac4aa0c3502f0408ce4cbc0ac9f18a7e27e84b
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こういう話題は大好物です♡
南九州の「まつろわぬ民」といえば「隼人」と「熊襲」。
居住地域が微妙に被ってる二つの部族ですが、
(熊襲は熊本寄り、隼人は鹿児島全土)
古代史に登場する時期が違ってるため、
熊襲(ヤマトタケルに討伐され服従)
↓
隼人(朝廷に仕える、たまに反乱する)
↓
「熊襲が大和政権に従ったあとの呼び名が隼人」
……が通説になってるみたいです。
んーーー個人的には別部族じゃないかと思うワ。
神話的にも熊襲は山の民、隼人は海の民 なので。
歴史書にその後が出てこないからといって、
「そこにいなかった」とは言い切れませんからね。
まあ、政権に組み入れられた後の時代には、
普通に混ざりあってただろうけど。
ところで記事の「なぜ天皇の祖先はまつろわぬ民の
居住地だった南九州に上陸したのか?」ですが、
高千穂が霊山だったので、中央政権がまつろわぬ民を
体制に組み入れるのに便利だったから、だと思います。
日本書記とか、奈良時代に編纂したやつですし。
後から力技で混ぜ込んだんじゃないかな。
そもそも朝廷側からすると、暴れ回る僻地の未開族を
武力だけで押さえ続けるのは大変ですよね。
従わせるには、それだけの説得力?が必要だったはず。
ホラホラ、元を辿れば我々は同じ民なんだよ~♡って、
単純明快な説明が案外効いたんじゃないかなと。
まあ、古代過ぎて真相は誰にもわかんない。
そこが魅力なんですけどね、古代史は。
そういえばwebマガジン・ジモコロさんに、
「熊襲」に関する旅行文がありましたのでご紹介。
隼人町にこんなところがあったんですね~。
入口が狭いのは敵避けのためかな?
古代の息吹を感じます……(*^-^*)
『クマソの穴』
ヤマトタケルに滅ぼされた部族が住んでた穴
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxy28
2024年06月03日
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