2023年06月04日

女性はなぜ家族と自分のことしか話さないのか

某ガルちゃんで「これをやるのは女性に
多いなぁ……と思うこと」というトピが
たっていたのですが。

話題が常に「うちのダンナが、うちのチビが、
彼氏が」しかない


私は女性ばかりの職場が多かったので、
これはもう深く深く同意するわ。
こういう人も趣味やニュースの話とかには
最初は普通に話題に乗っかってくるのに、
いつの間にか家族の話にすり替わってて、
主語が旦那・子供・孫になるんだよね。
勿論、無関心な人も結構いますけど。

じつは先日、
ちょっと遭遇して面白かったことがありまして。
話題がほぼ息子クンのAさんと、
孫が生活の中心のBさんが話してたわけ。

A「息子クンが野菜嫌いで困るわ。父親も
そうなの。義母の教育が悪かったせいよ」
B「孫も人参が食べられなかったけど、私の
料理なら美味しいって食べてくれるのよ」
A「息子クンが大会で入賞したのよ。先生に
私さんに似たんでしょうって言われちゃった」
B「孫も親に似ない器量よしでねー。末は
芸能人ねって近所の人に言われたわ」

………(゜o゜)………
何が凄いって、二人ともまったく相手の
話を聞いていないこと。
「どんなレシピなの」とか「何の大会?」
とかの合いの手も一切ナシです。
本当に自分の話しかしないんだな。
それでいて会話は普通に続いていくの。
(しかも合間に旦那家族をディスり、
自分の自慢話を混ぜるという高等技術!)

二人はかみ合わないまま会話を終え、
満足げに頷き合って帰っていきましたが、
私は思わず唸ってしまいましね。
こういう会話、男性同士では
ほぼ見たことないと思うのですよ。
違う意味でマウント取りしてるのはよく
見るけど、少なくとも一方的ではない。

なぜに女性は家族に拘ると、
突然唯我独尊体質になってしまうのか。
「主婦の認識世界が狭いから」という
昔ながらのディスりは兎も角として、
やはり人間の生物学的構造からいって、
産みの母親が1・2年で子供に興味を
失ったら人類の存続が危なくなるから
なんでしょうかねー。
ちょっと不思議に思ったことでした。
posted by にょん at 09:01| Comment(0) | わたしはこう考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月13日

霞の中の死

埼玉の高校生が震災で亡くなられた方を
インスタで茶化して炎上した件ですが。
私も学校側が先に謝罪するのは、
ちょっと違うと思うんだよね。
まー顔出し・学校名モロ出しだから、
謝罪するしかなかったのだろうけど……
でも結局「で、本人は?」ってなるじゃん。

さっさとアカウント削除して逃げてるけど、
まずは学校より本人の謝罪が先のはず。
周りの人は誰もそれを言わないの?
それとも「収まるまで隠れてろ」って?

そりゃね。
民事でも刑事でも裁けない炎上事件だけど、
この世の中には同じ時代を生きた人間同士、
「茶化しちゃいけない出来事」「最低限
守るべき人間としての礼儀」ってものが
あることを、この高校生は知るべきです。

この国は高校生を甘やかし過ぎだと思うわ。
まるで何に対しても傷つかないよう、
繭の中に閉じ込めているよう。
大人になる準備もさせないくせに、
高校卒業したら、いきなり「もう大人」と
区分する(放り出す?)システムは変。

それは「死の概念」に関しても同じで、
この高校生にしても「他人の死に対する
共感力」がごっそり抜けてる感じだわ。
いや、高校生だけじゃなく子供全般か。
日韓敵味方のよかれ様が書かれていたが、
「日常的にメディアから死が隠されている
のが原因のひとつ」というのに同意します。

ウクライナで「兵士○○人死亡」と出るが、
遺体はまったく映らない。
その兵士一人一人に名前があるのに。
トルコでは救い出された人の話だけが踊る。
その後ろの瓦礫では、多くの人が埋まった
まま助け出せないまま死んでいくのに。

私も「現実」はちゃんと映すべきだと思う。
アニメや漫画の中の「死」だけは駄目。
昔のように、祖父母が家で亡くなる経験を
する子供は少なくなり、子供達から死は
ベールを被せるように遠くなっていった。
霞の中の死に共感は出来にくいだろう。
この高校生が茶化した人々のように。

posted by にょん at 21:10| Comment(0) | わたしはこう考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月05日

職人気質と江戸回帰

■日本に3万社・ドイツに1万社ある
創業年数100年以上の企業、韓国には10社

  (朝鮮日報)

引用元
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/09/30/2022093081329.html

「韓国も許容されないケースだけを明確に定める
ネガティブ方式へと果敢に規制を緩和し、
100年、200年企業が出現できるようにしなければ
ならない」と語った。
(同)

うーーん、根本的なもの……両班思想というか、
「大手が偉い」的な体質そのものを変えられないと、
新興国だという物差しを引いても、
あの国では無理なんじゃないのかなー。
いくら規制法を緩和したとしてもね。
根底に職人を馬鹿にする風潮……これはアナログを
馬鹿にしている辺りに繋がっているわけだけど、
結局、アナログ→デジタルという過程を国民が真に
飲み込まない限り、伝統と言うのは受け継がれて
いかないと思います。

良いモノを作るには時間がかかる。
つまり職人を育てあげるには時間がかかるのです。
そしてその技をまた後世に伝えていく………
これにもまた気の遠くなるような時間と、
手間と、熱意と覚悟が必要。
うちの近所にも2社、創業100年越えがありますけど、
共通しているのは「地域密着型であること」、
「昔ながらの手法で製造していること」かな。
「地元の味」っていうのは廃れないものですよ。
人間、年を取ると原点回帰するものだから。

私はこれからの日本は人口減少に伴い、
「江戸回帰」するべきだと思っているのよね。
日本文化は江戸時代にほぼ出来上がっていて、
江戸の町というのはかなり完成された社会システム
だったから、踏襲するのもアリではないかしら。
これから人口はガンガン減っていくわけだから、
少人数で廻る社会構造を考えるべきだと思うんだ。
「オタク気質」「ニッチが好き」「何でも改造」、
日本人てやっぱり根っからの職人向きでしょ。

「人口が減ったら駄目」なんじゃなく、
「人口が減っても国民が幸せな国」を目指すべき。
江戸時代、250年。
朝顔の改良を競い合ったり、浮世絵で楽しんだり、
花見にお伊勢参りに、季節毎の行事を大事にして、
職人気質が花を咲かせていた時代。
伝統を捨て去ってしまう前に再構築すべきかと。
国の幸せを定義するなら、
そこで生きる人々が、その国らしい生き方を出来る、
それが重要なんじゃないでしょうか。



posted by にょん at 00:29| Comment(0) | わたしはこう考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする